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英国貴族の衰退とアンティーク

「英国アンティーク」というとなんとなく貴族趣味的なイメージが強いと思います

英国の素晴らしいアンティーク達は、19世紀に繁栄を極めた英国貴族達による需要と庇護によって大きく発展してきました。

20世紀初頭には英国貴族社会は衰退していき、それとともにアンティークアイテムたちも時代の変化の影響を受けることになります。


19世紀の英国貴族

19世紀くらいまでのヨーロッパは、イギリスに限らず多くの国が貴族によって支配されていました。
しかし18世紀末のフランス革命を代表とするブルジョア革命(市民革命)をきっかけとして、ヨーロッパ各地の王族や貴族達は徐々に衰退していました。

イギリスでも17世紀の清教徒革命などのブルジョア革命によって、絶対王政から立憲君主制に移行するなどの変化はありましたが、19世紀でも比較的王侯貴族の力が大きく残っており、1000人に満たない爵位貴族達が国土の半分ほどの土地を専有していたといわれています。

当時のイギリスはいち早く産業革命を成功させ「世界の工場」と呼ばれる工業力で他国を圧倒していました。また、インドなど世界各地に植民地を持ち、もっとも繁栄していた時代でもあります。

19世紀ごろの英国貴族達は、他のヨーロッパ諸国の貴族に比べ桁違いの資産を保有していました。


英国貴族の衰退

繁栄を極めた英国の貴族たちも、19世紀末ごろになると産業革命後に力を伸ばしてきた中産階級や労働者達の台頭により、政治的な階級闘争の中で徐々に衰退してきます。

1894年の自由党政権の政策により、それまで相続税の対象外であった大地主の不動産も8%の相続税が課せられるようになり、その税率は時代とともに上昇し1919年には40%まで上昇しています。

追い打ちをかけたのが1914-18年の第一次世界大戦です。
中世以来の「高貴なる者の責務(ノブレス・オブリージュ)」の精神により、戦争勃発とともに多くの貴族階級の将校達が戦場に駆けつけ命を落としました。
第一次世界大戦に参加した貴族階級の将校達の5人に1人が命を落としたとされています。

第1次世界大戦ではイギリスは戦勝国となったものの、当主や世継ぎに戦死者をだした貴族を中心に、40%にもなる高い相続税により多くの貴族たちが資産を失いました。

他のヨーロッパ諸国に比べて貴族の権力や財産が維持されていた英国ですが、大戦の集結から6年後の1924年は労働者階級の政党である「労働党」の単独政権が樹立され、貴族社会は急激に衰退していきます。

日本でもNHKで放送されたイギリスのテレビドラマシリーズ「ダウントン・アビー」では、1912年から1925年の英国貴族の激動の時代が舞台となっています。
 

貴族社会の衰退後のアンティーク

「アンティーク」の定義は一般的に「造られてから100年を経過した工芸美術品」とされています。

現在2024年ですので、第一次世界大戦で英国貴族が衰退した後に造られたものが徐々にアンティークの仲間入りをしてきました。
1920年頃から流行した「アール・デコ」のような商業主義や工業デザインの性質をもつものが「アンティーク」の中に含まれるようになってきました。
アールデコの流行の中心はヨーロッパからアメリカに移っており、アメリカ製のものが中心になります。

こうした民主政治時代の工芸品がアンティークの定義を満たすようになることで、これまでの「西洋アンティーク=貴族趣味」というイメージは、今後徐々に変化していくのかもしれません。


まとめ

貴族趣味のイメージが強い英国アンティークなどの西洋アンティークですが、徐々に貴族社会が衰退した後の時代に造られたものが「100年経過」というアンティークの基準を満たす時代になってきました。

しかし「100年以上」という定義自体が、1934年にアメリカが定めた通称関税法における「100年以上の古い工芸美術品に輸入関税を課さない」という所から一般的になっているだけで、本来はそれほど明確な定義はないものです。

言葉や時代、様式などの定義にとらわれすぎず、造られてから長い間に世代を超えて受け継がれてきた美しい工芸品達を、しっかりと次の世代に受け継いでいきたいと考えています。