なぜ高級時計メーカーはスイスに集中しているのか?その歴史的背景
投稿日: 投稿者:WATANABETAIGA

「高級時計」と聞いて、皆さんはどこの国を思い浮かべるでしょうか。
おそらく多くの方が「スイス」と答えるはずです。
パテック・フィリップ、ロレックス、オメガ、など、現在世界的に名を知られる時計ブランドのほとんどがスイスに拠点を置いています。
しかし、時計の長い歴史を紐解いてみると、最初からスイスが時計産業の絶対的な王者だったわけではありません。
かつてはイギリスやフランス、そしてアメリカも、スイスと肩を並べる、あるいはそれ以上の「時計大国」でした。
では、なぜ現在これほどまでにスイスだけが時計産業の聖地として生き残ったのでしょうか。そこには、技術の優劣だけではない、宗教、戦争、そして産業革命といった世界史の大きなうねりが深く関係しています。
今回は、世界史的な背景から時計産業の変遷を辿ってみたいと思います。
1.スイス時計産業の歴史
スイスが時計大国となった理由には、大きく分けて3つの転換点があります。「宗教弾圧による技術の流入」「永世中立国という立場」、そして「クオーツショックからの復興」です。
技術の流入と宗教的背景
もともとスイスのジュネーブ周辺は宝飾品の加工が盛んな地域でしたが、時計製造の技術が飛躍的に向上したのは16世紀から17世紀にかけてのことです。
そのきっかけはフランスで起きた宗教改革でした。当時、フランスではカトリックとプロテスタントの対立が激化しており、フランスのプロテスタントである「ユグノー」への弾圧が強まっていました。
ユグノーには手先の器用な職人や富裕層が多く含まれており、彼らは迫害を逃れるために、宗教的に寛容であったスイス(特にジュネーブ)へと亡命しました。
彼らが持ち込んだ高度な時計製造技術が、もともとスイスにあった宝飾加工技術と融合し、スイス時計産業の礎となったのです。
永世中立国としての恩恵
20世紀に入り、世界は二度の大きな世界大戦を経験します。ここでもスイスの置かれた政治的立場が産業を守ることになります。
第一次世界大戦、第二次世界大戦において、ヨーロッパ全土が戦火に見舞われる中、スイスは「永世中立国」としての立場を貫きました。
他国の時計工場が爆撃を受けたり、兵器製造のための軍需工場へ転換させられたりして衰退していく一方で、スイスの時計産業は戦禍を免れ、時計を作り続けることができたのです。
クオーツショックと復活
順調に見えたスイス時計産業ですが、1970年代に最大の危機が訪れます。
日本の時計メーカーが開発した「クオーツ式腕時計」の登場です。
※クオーツ式とは
電池を動力源とし、水晶(クオーツ)の振動を利用して時間を刻む方式のことです。それまでの「機械式(ゼンマイを巻き上げ、歯車で動く時計)」に比べて圧倒的に正確で、かつ安価に大量生産が可能でした。
この技術革新は「クオーツショック」と呼ばれ、高価で精度の劣る機械式時計を作っていたスイスの多くのメーカーが廃業に追い込まれました。
しかし、スイスはここで終わりませんでした。1980年代、「スウォッチ(Swatch)」の登場により流れが変わります。
プラスチック製で安価、かつデザイン性の高いファッションウォッチとして世界中で大ヒットしたスウォッチの収益を基盤に、スイスの時計業界は再編を行いました。
そして、「機械式時計は単なる道具ではなく、芸術品・ステータスシンボルである」という新たな価値観を打ち出し、高級時計市場におけるトップの座を取り戻すことに成功したのです。
2.イギリスやフランスの時計産業と衰退の理由
スイスが台頭する以前、時計産業をリードしていたのはイギリスやフランスでした。なぜこれらの国々は、現在のような地位を維持できなかったのでしょうか。
フランス:人材の流出と政情不安

かつてフランスは、アブラアン=ルイ・ブレゲなどの天才時計師を輩出した時計先進国でした。
しかし、前述した通り、ユグノー(プロテスタント)への弾圧によって、多くの優秀な時計職人がスイスへ流出してしまったことが最初の打撃となりました。
さらに、フランス革命やナポレオン戦争といった長期間にわたる政情不安も、産業の発展を妨げる要因となりました。
職人が落ち着いて技術を継承できる環境が失われてしまったのです。
イギリス:手工業への固執

18世紀頃までイギリスは世界一の時計大国でした。
特に船舶の位置を知るために必要な「マリンクロノメーター(航海用精密時計)」の開発など、精度への探求心はずば抜けていました。
しかし、イギリスの時計作りはあくまで「職人の手作業による一点物」の傾向が強く残っていました。
19世紀以降、産業革命が進む中で、スイスやアメリカが部品の規格化や分業制を取り入れ、効率的に時計を生産し始めると、コスト競争で太刀打ちできなくなりました。
伝統的なギルド(職人組合)の力が強かったことも、近代化への転換を遅らせる一因となったと言われています。
3.アメリカの時計産業と衰退の理由
ヨーロッパとは異なる進化を遂げたのがアメリカです。
19世紀後半、ウォルサムやエルジンといったメーカーが台頭し、アメリカは一時、スイスを脅かすほどの時計大国となりました。

大量生産システムの確立
アメリカの強みは「工業化」でした。
それまで職人が一つひとつ微調整して組み上げていた時計部品を、機械によって規格化し、誰が組み立てても同じ品質になる「大量生産システム」を確立しました。
これにより、高品質な時計を安く供給することに成功し、一時代を築きます。
戦争による産業構造の変化
しかし、アメリカの時計産業を衰退させたのは皮肉にも戦争でした。
第二次世界大戦中、アメリカの時計メーカーは政府の要請を受け、その精密加工技術を活かして、信管(爆弾の起爆装置)や航空機の計器といった軍事用機器の製造に専念することになりました。
すべての生産ラインを軍事用にシフトさせた結果、戦争が終わった後、民生用(一般向け)の時計製造への復帰が遅れてしまいます。
スイスへのシェア逆転
アメリカのメーカーが軍需産業に注力している間、中立国であったスイスは、最新のデザインや機能を備えた腕時計を世界中に供給し続けました。
戦後、アメリカのメーカーがようやく時計作りに戻ろうとした時には、すでに市場のシェアはスイス製や、安価なスイス製部品を使った時計に奪われてしまっていたのです。
結果として、アメリカの多くの名門ブランドは消滅するか、スイスや他の国の企業に買収される道を辿ることになりました。
まとめ
現在、私たちが目にする「高級時計=スイス」という図式は、最初から決まっていたわけではありません。
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フランスは宗教弾圧により技術者を失い、
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イギリスは手工業へのこだわりからコスト競争に敗れ、
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アメリカは戦争による軍需へのシフトで市場を失いました。
一方でスイスは、他国から逃れてきた職人を受け入れる土壌があり、永世中立国として戦火を避け、さらにクオーツショックという壊滅的な危機を、巧みなブランド戦略とマーケティングで乗り越えてきました。
現代に残るアンティークウォッチやヴィンテージウォッチを手に取るとき、その時計が作られた国や時代を確認してみてください。
「なぜこの時代に、この国の時計が存在するのか」。その背景にある歴史の流れを知ることで、小さな時計の中に詰め込まれたロマンを、より深く感じることができるのではないでしょうか。










