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【ブランド紹介】マッピン&ウェッブ

Mappin&Webbについて

Mappin&Webbは英国に本社を置くジュエラー(宝石商)です。

1897年にはビクトリア女王より「王室御用達」の認定を受け、今でもMappin&Webbの職人が英国王室のクラウンジュエラー(王冠を作成する職人)として任命されています。

現在はジュエリーが中心ですが、もともとは銀器工房として有名でアンティークの世界ではたくさんのシルバー製品が残っています。
多くの英国のジュエラーが英国内のみの展開にとどまっているのに対して、一時期は国際的な展開をおこなっていた英国で最も成功した世界的なブランドです。

 

始まり

Mappin&Webbは1775年に英国シェフィールドでジョナサン・マッピン(Jonathan Mappin)が開業した銀工房が始まりとされています。

工房はジョナサンの息子ジョセフ、さらにその息子のジョセフに引き継がれた後、ジョナサンのひ孫たちであるフレデリック、エドワード、チャールズ、ジョンの4兄弟にによって1846年に「Mappin Brothers Ltd.」として事業を展開していきます。

しかし、末っ子のジョンは工房の運営をめぐって他の兄弟達と対立し「Mappin Brothers」をやめて1860年に「Mappin & Co」として独立し、ロンドンのオックスフォードストリート77-78に自分の店を出店します。
その後1862年にジョンの義兄にあたるジョージ・ウェッブ(George Webb)が経営に参画し、1868年には「Mappin and Webb & Co」に社名を変更しています。

以後しばらくの間「Mappin Brothers」と「Mappin and Webb」が元祖マッピン家を主張しあって争うことになります。

 

拡大と王室御用達

「Mappin&Webb」のジョン・マッピンはかなりビジネスセンスのある人物だったようです。

スターリングシルバー製の銀器だけでなくシルバープレート製の普及価格帯の銀器にも力を入れ、貴族などの上流階級だけでなく19世紀後半に力をつけてきた中産階級にもその製品が広く受け入れられました。
また銀器だけでなくジュエリーの製造販売にも力を入れ事業を拡大させていきます。

1890年代には南アフリカのヨハネスブルグを皮切りに、ブエノスアイレス、サンパウロ、ピアリッツ、ニース、ローザンヌ、ヴィシー、パリ、ローマ、香港、上海、カイロ、ムンバイといった世界各国の都市に店舗をオープンさせていきます。
1888年にはビクトリア女王からネックレスの製造を依頼され、1897年には「英国王室御用達」の称号を与えられています。

一方で兄弟達が経営していた「Mappin Brothers」はしだいに経営が傾き、兄弟たちやその息子も経営からしりぞいてマッピン家とのゆかりはなくなっていました。
1902年には「Mappin Brothers」は「Mappin & Webb」に吸収されることとなります。

Mappin&Webb マグカップ Mappin&Webb ティーポット

 

現在

20世紀に入ってからもMappin&Webbはロシア皇室やモナコのグレース・ケリー王女などの顧客を獲得し「Walker & Hall」や「Goldsmiths & Silversmiths Co」などの英国内のライバルの有名メーカーを傘下に収めるなど、さらに事業を拡大していきます。

1939年には日本にも進出しています。

1973年にはアメリカのシアーズ・ホールディングに買収され、その後もアスプレイ・ガラードグループに参加するなど資本的な変遷があり、現在では時計やジュエリーを販売する「THE WATCHES OF SWITZERLAND GROUP(旧オーラム・ホールディングス)」の一部となっています。

しかし、現在でもエリザベス2世女王、プリンス・オブ・ウェールズの王室御用達であり、英国王室のクラウンジュエラーの称号を持つ名門でありつづけています。

 

まとめ

Mappin&Webbは英国王室御用達の名門ですが、シルバープレート製品など比較的普及価格帯のものも力をいれています。
そうした時代の変化に合わせた経営が英国内の他のライバルを押しのけ、もっとも成功したブランドとなっていったのでしょう。
アメリカのティファニー(Tiffany&Co)のイメージに近いかもしれません。

 

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